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秋風が身に沁みるようになると不思議にいろいろな
出来事が浮かんでは消えまた浮かぶ・
秋の音色を謳歌していた虫たちも一生を送っのか
寒さに向かうとどうしても人恋しくなるのです・
寒さ対策ではないのですが、物寂しいんです・
今津町にて
午前は「しんあい」でたこ焼きパーティでご馳走になりました
午後から秋のバラが満開との情報で彦根へ直行してソフト撮り
その後夕陽を追っかけて荒神山に登ったが良いアングルが見つからず
結局はびわ湖湖畔でゲット・・
お答えは 自分で出せと 秋のバラ
終止符を打てば一件落着とはなりますが後々までも
疑問と後悔と未練を残すことにもなりかねません
一時の小休止でまた新しく考えが浮かぶこともあるし
なんで昨日気づかない事が夜明けと共に浮かんで来る
明けない夜は無い新規まき直しですよ明日もあるさ!
なんのために生きるのだ残された人生の道を探し歩く
自分には自分に与えられた道がある天与の尊い道がある
どんな道かは知らないが、他の人には歩めないこの道
それがたとえ遠い道のように思えても休まず歩む姿から
必ず新たな道がひらけてくる 深い喜びも生まれてくる
景色を探すことではない 新しい目で見ることなのだ
神蔵寺谷川ダム湖:10月12日(写)
勇敢な人もいるのです それは自分への信頼が絶大で
あると言うことに他なりません・世間的には向う見ず
最近思うのだけど惚れたと 惚けたが同じ字なんです
ボクはこの漢字を当てはめた人の粋に兜を脱いでいる
結局惚れたと惚けたは心の状態及びバカさ加減は同こと
この秋晴れの爽やかさに逆らってもたもた喋くっている
バカな男の見本ここにあり差障りのある方ゴメンナサイ
米寿きてやっぱり惚けのほうに傾いて来ている(ボク)
丸山千枚田:10月2日(写)
何を目標にして良いのやら五里霧中の中でわずかな風を頼りに
人生のひとり旅をしているのですがすこしの風にもおどいて
後ずさりばっかりしながらここまで来ましたでも幾つになっても
「恐いものは何もない」という気持ちになれない臆病者です
私は生きている間 こわいものだらけだと思って居りますが
最近なんの弾みかカメラを持って出かけることが多くなりました
臆病者の恐がりだから狭い熊野古道も運転できていると思います
九十九折れが続く峠道殆どは私が道を譲り「どうぞ!」と笑顔です
八十路の長距離運転だれ云うとなく「気つけてヤ」「アリガトウ」
吉野熊野国立公園七色峡;10月2日(写)
何をすればいいのだろう キミのために
何をすればいいのだろう 時間を越えて
キミが静かに穏やかに 眠れるように
変わらぬぬくもりで 包んであげたい
その笑顔のために 優しい唄歌いたい
夜のとばりの中 笑顔でいられるように
ひとりキミが 孤独に凍えないように
キミのために 何をすればいいのだろう
殺風景な僕の心の窓辺に咲いた一輪の彼岸花
殺風景な僕の部屋に愛おしく花弁一枚落ちた
殺風景な僕の心に花の香りが舞い込んでくる
殺風景な僕の部屋に温かさを感じさせてくれる
一輪咲く愛おしい花は 僕の心を癒してくれる
雑踏の なかで光ってた キミが居る
めぐり逢い 心はいつか 朱に染まる
酸欠の胸の奥底曼殊沙華・体も心も酸欠状態になり
思い悩んだ末に津市まで足が向かうまま生きる意味を
気持ちには関係なく赤いものは赤い意味を確かめた
人との巡り合いは縁は異なもの味なものと言うけれど
どこでどんな人と巡り合うか神さまだけが知っている
秋彼岸はお墓参りに行く途中で必ず出会う曼珠沙華
葉っぱもなくいきなりニョキッと地上に出た曼珠沙華
津市:9月26日(写)
八十路まだ 盛る夢もある 欠け茶碗
欠けた茶碗の縁からこぼれ落ちる夢であっても
生きている限り盛ってみたいものです自分なりの
小さな小さなものでも夢や希望それが無くなれば
生きている意味は半減します程の良い所で句読点
を打ちながら花も色付いて秋を満喫しております
今日はキミに会いに行く日だ
人工骨の経過レントゲン検査
どんな顔をしているかな~
怒っているか泣いているか
出会った途端に笑顔するか
施設でカンファーレンス 食事、水、薬を拒絶するようになった。心筋梗塞や血圧の薬は飲まないと生命の危険度が高い。今後は入院して胃瘻を行うか?胃瘻拒否して天命を待つか?家族の意見を聞きたいとのことでした。
私達の元気な時の約束は「延命措置はしない」と伝えて今後の医師との会議にもこのように伝えると返事をした。
何時までも誰にでも自分だけでそっと抱いている思いってあります
これは明かさないことによって自分の価値のなかで膨らんできます
話は戻って私の胸ポッケには青春の色々なものが詰め込まれてます
千両だか万両だか知らない赤い実が成っておりました(実だけです)
秋晴れの空 雲もどこか爽やかに思い出すのは蕎麦で偲んだ思春期
平凡と いう名の幸に 染まる秋
平凡を幸だと思うにはそれなりの年月と生きてきた道を振り返り
初めて思うことであって、それなりの内容があると思います
北風に遭遇してはじめて南風の有難さが分かると同じですね
自然に生き農に生き それを生業として夫婦で生きてる姿をみて
食べ物にも不足した戦争を知っている自分達には輝ける風景だ
東近江市:9月22日(写)
「芹川の清流」多賀町にある
美しい清流の流れる場所
9月22日(写)
行きたいのに行けない
会いたいのに会えない
悲しくて寂しいけど
もどかしくてこれにも
意味があるのだろう
今日も清流は流れる
年だなあ~転んで川にはまり着ている物が水浸し
行水したんか?((笑))
風吹けば風が好き 雨降れば雨もまた良し
人はこういう順応性をどれぐらい持てるかと
いうことで心の安定を保つことが出来るとか
世は輪廻転生 次に待っているのは向い風か
全ては時が解決することも多々ありますから
行く雲に 問うたわたしの 現在地
三分間の打ち上げ花火で3枚の写真を撮る
自分の生涯の残り時間を知りたいとも思う
私の現在地はどのあたり?と聞いても誰も
教えてはくれない あと1分しかない花火
雲に聞いても自分に聞けばと云うばかり!
こんなものだと
嘆いてみても
捨て切れずの
もしもとかける
三分間の花火絵
野洲市:9/20(写)
持ち札が 減ってこの世の 狭さ知る
人はその持ち札によって自分を取り巻く環境が変わるから
それもだんだん減るということは知力体力が減ってきたということ
この世が狭くなった だから丁度いいバランスなのかもしれない
そうでなくては高齢者は生きていられない今日この頃かもね
美山かやぶきの里:9/14(写)
焔(ほむら)と言うほどのものでなくても、みんなある時期燃えたものが
あると思います・・勉強であれ、何かのレッスンであれ、スポーツであれ
恋であれ、遠くなっても思い出として生きているのですが
それらを折に触れ思い出していますねぇ・そんなときには
めらめらと言うにふさわしい心で逢いにゆくのです逢いたいですね本当に

