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生来何の能書きもないけれど、いつも何かを生き甲斐として生きてきた
出来ないことは望まない性質なので何時も 何とかなるさ成る様になる
自分の道幅の中で蛇行あり千鳥足ありそれを不満とは思わなかった
要するに高望みはしないと言うことか身の丈だけの物の考え方で
生きてゆけば向かい風に遭おうとも向きを変えれば追い風になるでしょ
負け組で痩せた小鳥の法螺を聞く…嫌ですね…燃えた日を忘れはしない
京都市・10月5日(写)DSの時間をトンボ返り
心配していた足のむくみ(心不全?)今日受診した今のとこ異常は少ない
来週の検査で異常なければ…有ったとしても 天命のままに生きて行こう
頑張ることは無い 野辺の花のように自然のままに生きているのが
一番カッコイイから 頑張うと思う人は人知れず頑張るものなんです
何かが成功したときに やっぱりガンバっていたんだ~というのが
格好いいでしょ さりげなくがんばるのはそれで結果が出せたら最高
今年もデーサービスの少しの時間で写真を撮りに行く楽しみのご褒美
家内の体調がよくない これからのケアを施設の利用をどうするか?
私の道標が混沌として定まっていないからだ迷い迷ってここは菩提寺
大きな墓場が出来ている盛りを過ぎた曼殊沙華が点々と咲いて待っている
保護色を良いこととしてカマキリさん少し話をしょう「俺も淋しいんだ」
はじめてカマキリ君の顔見たんですが、結構ふざけた顔なんだ
鼻筋がしっかり通って けど飛んできたら恐いぞ~~!クワバラ
カメラには逃げなかったけど私と目が合ったらすぐ居なくなった
やっぱり逃げ出したんだ 私が老い耄れの甲斐性なしだからっか
逢いたくて 今年も咲いた 彼岸花・Rakki
28日長浜徳山にもう彼岸花が満開か?と思って行ってみると未だだ気温が高いせいだ
血の色みせて咲く曼珠紗華この花って準備なくていきなり咲くように思います
今年は遅かったが突然にそれはこの世への未練が吹き出すようにお彼岸には必ず
ぱっと咲き乱れますね皆に逢いたくて精一杯の華やかさでお目見えしているのでしょう
子供の頃は毒があるからとか言ってあんまり遊ばなかった様に思うのですが
今思うにはあの色は毒というより魂の色だから手慰みにしてはいけないのですね
最近はピンクや白の花もでも故人の思いとしては真っ赤でこそ表せると思うのです
奈良橿原の本薬師寺跡へ布袋葵と彼岸花を撮りに行ったここに
蓮の花が枯れて茎が分厚くなった花托が大きくなり実をつけます
実際に蓮に実がついている様子は、不気味な印象を受けます
散る美学などという 繊細さに欠ける私などはさぞや
悪あがきしながら散ることであろうところで散る美学とは
何だろう? それさえも理解しがたいアホな自分の嘆き節を
聞きながら果ててゆくことかな~!うん、きっとそうだよ
私は何時もこのような創造の素でカメラを楽しんでいるのです
3日前まで真っ赤に燃えていた彼岸花も早や色褪せて白髪が目立ってきました これも人生
いちどこの人とこの橋を渡ると決めたら何があっても渡ったほうがいいと思う これも人生
後生大事と付き合った女房 掛け違ったボタンを知りながら最後まで掛け違えてゆく愚かな
惰性でしかないようにも思います 早く掛け違いを直さなければ最後の帳尻が合いませんが
たとえ蔓の橋であろうともこの人と渡ると決めたら ゆらゆらは覚悟の上かなり厳しいと思う
あちらの神やこちらの仏に 縋りたくもなるが一輪の花にさえ人は夢と愛を抱く
何ごとであれ、激しい心を激しい言葉で表現すれば それは 10を言えば
10の内容になる 当たり前のことを当たり前に言っているに過ぎないと思う
10を言って20を感じてもらうには、つまり1+1を3にするためには
行間に秘められた心を感じとって貰えなければ成り立たないでしょう
それにはそれにふさわしい言葉が登場しなければ無理でしょう
写真だって同じことが言えますね 美しいと見たものを撮るだけでは
最近のデジタルカメラであれば基本を守ればキット美しく撮れるでしょう
子供のころ彼岸花は 死人花 地獄 幽霊花と教わりました墓地の花とも
その様なことを思い出しながら せめて写真ではキラキラと輝くようにっと
気になるから調べてみました 色別の彼岸花(ヒガンバナ・曼珠沙華)の花言葉
白の彼岸花(ヒガンバナ・曼珠沙華)の花言葉は「また会う日を楽しみに」
赤の彼岸花(ヒガンバナ・曼珠沙華)の花言葉は「情熱」
この世の中 人は自分だけでは生きてはゆけません
どんなに騙されてもふられても又人が恋しくなってしまうもの
特に子供心に帰れる時の人間の気持ちが純粋だと思いますね
明日香の棚田の案山子コンテスト彼岸花は咲いてませんが
沢山の人達カカシに話しかけている人 ジット眺めている人
童心に帰れるチャンスはそう沢山はありません生きる原点だ
私もファインダーを覗いて「今年も会えたね」ありがとう!
ここでいう あなた とは私の影のことです・・・それは幻かもね?
一心同体というけれど時にそうは ならない時も有るので困るンです
やっぱり身と心はばらばらなんですね それを上手く調整することで
心身の乱れにまでならないのでしょうが フ~~ット頭を過ってきて
思春期の時に戻ってポーットなりながらファインダーの中の世界です
折角見つけた麗人が近づいて来たチャンスを成す術も無く外すンですね
終ったようです こんな姿は見せたくなかったそれを言うなら私も同じ
彼岸花を捜し歩いて ここまで来たが見当たらない まだ早いようだな
それでは?絵になろう とは自分の心に描いた目標に向かって進むこと
人と比べて決めるのではなくまあ自分の心のハードルみたいなものです
五分咲きのコスモスを見つけて自分が満足すればそれで充分なんです
赤い花は赤いなりに白い花は白いなりに じゃぁ私の孫より若そうな女?
写真に納めて満足すれは充分なんです何々?光と影の配分背景の花もです
じゃ~背景の電線は?と聞かれて う~~ん五線紙に音符を わが青春
ほむらと言うほどのものでなくても、みんなある時期燃えたものが
あると思います勉強であれ、何かのレッスンであれ、あるいは恋であれ
遠くなっても思い出として生きているそれらを折に触れ懐かしく美しく
思い出しています 特にロマンティックな秋に長閑な時間を一人で凄し
花や蝶と戯れていればカメラを通して覗き見していると自然と甦ります
何でもいい脳が喜ぶものを見つけよう脳が喜ぶと言うことは滅多に無いヨ
自分も幸せになれるから!
9月16日(写)
戯れごとは この指とまれ 秋の風・Rakki
地元の人は優しいですねアキアカネにここまで接近しお話出来る
なんか戯れ言を言っている様子だ魅力というより魔力かもしれない
戯れ言 これは何となく分かる 確認のため今辞書を引きました。
確かに思っていた通りでしたが、すると世の中には戯れ言が横行し
心地よい秋の風が旨く取り計らって戯言も戯れ事もホンマモンだ
9月14日(写)
それなりの 人生だった やがて秋・Rakki
やがて秋風が身に沁みるようになると不思議にいろいろな出来事が浮かんでは消え
グラデーションの秋色が目に浮かぶ頃 今でもどうしても人恋しくなるのです
クローズアップ写真のような 人生に逆光とは好ましからぬ出来事に遭遇してしまった
と言うことですが そんなときには必ずのように夢を見ていた頃の自分の姿を思い浮かべ
るものなんです しばしその中に浸って やがて現実自分の出来事に触れて我に返る
まぁ大体こんなことの繰り返しで人生やってきたように思います写真撮りながらブツブツ
西應寺・9月12日(写)
認知症の妻と生きるとき思い出は過去のものとなった
色々と言葉を尽くしても伝わらない思いや 思い出話
全てを取り込んで毎日をいくつも言葉を重ねて貫いてきた
花はなぜ咲くのだろう なぜそこに佇むのだろう
言葉が手に届く場所にあった私達はそうやって生きてきた
認知症の妻と生きるとき思い出は過去のものとなった
色々と言葉を尽くしても伝わらない思いや 思い出話
全てを取り込んで毎日をいくつも言葉を重ねて貫いてきた
花はなぜ咲くのだろう なぜそこに佇むのだろう
言葉が手に届く場所にあった私達はそうやって生きてきた
甲賀市信楽・
私はだあれ?だ~れでしょね~~ ハイ~~私です
DSの隙間時間この時間は有意義の使おう
我が地方では適量の雨が降ったから鶏鳴の滝の出かける
北九州地方では悲惨な水害が報じられてる
雨上がりの岩場は足が滑り転ぶ 上り道躓き転ぶ 最悪
信楽の狸に面会してヤット滝を撮る もう帰る時間だよ~
句読点 うてば小さな やがて秋
句読点を打てばそこで一拍おいたことになります…と思う
文章だけの話ではなく 毎日の生活においても…と思う
ここらで少し頭を冷やした ほうが冷静になれる…と思う
第三者の目で自分を見つめることが出来る…と思う
色々あるけど程の良い所で句読点を打ちながら やがて秋
朽木村・8/24(写)
永く生きていれば火のときも水のときも みんな潜ってきたのです
ただその過程において考えられるだけ考えて対処してきたのです
後はなるようになる気持ちで悩まないそれが生き上手ではないだろうか
悩む前に状態をしっかり把握することが全てにおいて大切だと思う
そして手を打てば後はお任せ 何に?もちろん神さまですよ
火も水も通り抜けた人の醸しだす雰囲気を人は燻し銀と言うでしょう
朽木村・8/24(写)
暑さを避ける為に水の森温室に行くが【アツイ】二輪で咲く花を見て
昔はこんなこと考えましたね真心さえあれば人は生きていけるだと
この年頃はカスミを食べていたんですねぇ~私も純真な青春でした
ところで昔とはどれ位前を言うのかと最近つくずくと考えましす
あの頃のキミが恋しく思います昔に戻れないことは解っていますが
認知症の姿を見ていると 何故?ナゼ?進行はするが戻れない病だ!
水槽の中で囚われとなった熱帯魚のわが身に「いま」を生きるを感じとりました
園内の照明に照らされた姿を見て「ポジティブな人は、 いつもにこにこしている」
いつか終わりがきてしまう人生。だからこそ「いま」を目一杯に楽しもう~っと
私も眠れないときスマホの深夜便が来た「どうも認知症かも?」って
カメラの設定の話をしていた事がすっかり忘れて思い出せないんだと
流れる雲から見たら人間の存在なんか小さなもの、ふんわりと雲のような
気持ちで生きてご覧とゆったりユッタリと流れてゆきました。
ほんとです、どんなに頑張ったって百年に満たない人生の期間
焦ることなんか何も無いのです雲に乗ったような気分でいるならば
必要な時に必要な分だけ思い出すことでしょう ふんわりと行こう
草津市8/17(写)
先日8月5日長浜の花火を撮りに行き びわ湖大仏と対面し
隣で花火を撮っている人と 琵琶湖大仏と花火のコラボうを
撮る話で暫く場所探しに歩くが適当な位置は民家ばかりで
ヤッパリ諦めて来年のお楽しみとしよう・と結論が出たが?
パソコンの中では 簡単にコラボができる もっと丁寧に!
びわこ大仏・良畴寺・大仏は28mの青銅製の阿弥陀如来像です

